サファリとは、アフリカ大陸を舞台に、狩猟や野生動植物の観察をしながら移動する「探検旅行」を意味します。

BUSHMENのデザイナー兼CEOである Piotr Kowalski(ピョートル・コワルスキー)のモノづくりは、彼自身が経験した数々の冒険から多くのヒントを得ています。

これまで経験してきたサファリで見た光景・抱いた想いを語ってくれました。

サファリを夢見たポーランドの少年

幼かった時の僕は、寝ても覚めても、サファリに繰り出す夢を見ていた。

僕にとってのサファリとは、

朝早くに起きて大自然に見え隠れする奇跡をカメラに収め、サバンナの荒野を、車をガックンガックン言わせながら突き進み、昼間はアンテロープの群れを追いかけ、夜にはトラの家族をそっと眺めること

だった。

そして夕方には、アフリカの壮大な夕日を眺めながら、日中にすっかり火照った体を休ませる。

手の中には、昔ながらのマリアナ治療薬を握っている。「昔ながら」というのは、もちろん、ジン&トニックのことだよ(というのは冗談で、実際に使うのはキニーネだ)。

でも、現実はそうは行かなかった。

これまで、何度かサファリを経験してきたけれど、その度に、僕がそれまで抱いていた美しい夢たちは一つ、また一つと、消えていった。今回は、その夢が文字通り「灰」になってしまった時のお話をしよう。

ニョコロ=コバ国立公園で蒸発したお酒と、夢

セネガルの南東部に、広大な面積を有するニョコロ=コバ国立公園がある。地図で見ると、そこだけポツンと緑なので、大雪山国立公園なんかにちょっと似ているかもしれない。

とはいえ、ニョコロ=コバ国立公園の大きさは、大雪山国立公園の約4倍もあり、鹿児島県がすっぽり入ってしまうくらいほどである。

僕らの車は、まるで疲れ果てた巡礼者のようなスピードで、ゴツゴツした山肌を登っていった。これが、公園のメインロードだというのだから仕方ない。

おまけに、あの時の暑さときたら、思い出すだけでも苦しくなる!

日陰でも気温は 47℃。日向に落ちている玄武石に少し触れようものなら、確実に火傷して水膨れをお見舞いされるほどだ。

それにしても、日産・パトロール(日本では、2007年まで日産・サファリの名称で発売)は、本当にいい仕事をしてくれた。

まさか、30年間のキャリアの最後15年間は、地上の地獄を走り続けることになるとは思わなかっただろう。日本車の性能は、さすがと思う。

こうして、僕の少年時代の夢は、アルコールが一瞬で蒸発するかのようにサッと消えて無くなった。

当然、僕たちが持っていったお酒も、夢と共に一瞬で消えて無くなっていた。

過酷な環境の中、奇跡は起こり続けた

「水が飲みたい!」

誰もがそう思っていた。誰もが、始終、そう思っていた。先住民だってそう思っていた。

僕たちは、動物の姿を追って、二時間も三時間も、ひたすら運転(もし、あの姿が「運転」という表現にふさわしいのあれば)した。

動物はアチコチにいた。彼らが素早く走り抜けていく姿は、常に視覚の角で感じていたし、僕たちに警戒してしばらく固まっている姿にも何度も遭遇した。

動物の写真を撮ることは、奇跡だと思った。

たしかに、自然や野生動物の生活に人間が足を踏み入れることは、身勝手だし、決して褒められたことではない。

それでも「素晴らしく貴重で愛おしい発見」は、本当にあるものなのだ。

失われた夢そっちのけで、無我夢中になってサファリの恩恵を観賞した。

焼け野で出会ったアンテロープ

道端で草を食べているアンテロープを目にした。彼は、すっかり焼け果てた荒土の中から、少しでも美味しい草を探していたのだ。

動物はたしかにそこにいた。

なのに、彼らを取り巻く風景は、草木が焼ける臭いが漂い、まるでテレビで報道される民族紛争地域のような荒れ果てた光景。

偉大で美しい自然とは、随分かけ離れていた。

僕は、ガイドに質問した、「最近の自然火災はいつ起きたのか。また、どのくらいの被害があったのか」と。

ガイドの答えを聞いた僕は耳を疑った。

僕たちが目にした焼け野原は、1976年からその姿を変えていないというのだ。つまり、この地を先住民が去った同時期から、大きな火災は起こっていない、ということになる。

計画的に行われる野焼き

では、この火災は何によってもたらされていたのか。

実は、自然保護員たちによって「意図的に」行われていたのだ。これを聞いて、僕の不信感は恐怖へと変わった。

雨季が終わって間もない11月の半ばほどになると、少しずつ森林や野原が焼かれていく。火の範囲は、厳格な監視の下コントロールされている。

村落など、火から守る必要がある地域からは、風下にかけて火がつけられる。すでに焼け野となっている場所に向けては、風上から燃やしていく。

地中に身を潜めている緑は、雨季の間に溜まった土壌に含まれる雨水で保護されるらしい。そして、この水分によって、火は、ちょうどいい頃に自然に消えるという計算だ。

なぜ、意図的に自然を焼き払うのか、理由はいくつかある:

  • 自然火災発生を予防するため
  • 不毛な土壌をリセットし、新鮮な植物を生やすため
  • 観光者向けのインパクトになる(これは問題だが!)
  • タバコのポイ捨て(これをする観光客は実に多いらしい)などの人間の身勝手な行動によって火災が発生するのを防ぐため

そして、何よりも大きな理由が、

  • 無秩序に広がり得る大規模な森林火災を監視・制御するため

なのだ。

ガイドの説明を聞いていた僕は、始めは怒りを覚えた。

でもよく考えてみると「このように昔ながらのやり方ではあるものの、実際には理にかなっていて効果のある活動なのだ」と思うようになった。

土地を知り、状況を知れば、やることが見えてくる

1ヘクタール当たり、たったの3円という予算で、どうやってこのような環境を保護することができるのだろうか。

玄武岩で目玉焼きが作れてしまうような環境は、自然火災の脅威と隣り合わせだ。そんな中、計画的に行われる野焼きは、キーコンセプトの一つに過ぎないのではないか。

数時間後、僕はマコの村にいた。

焼けた草木の灰が、風に乗って運ばれてきては、土壁と茅葺き屋根の家に当たる。

女性が、日用品を詰めたカゴを慣れた手つきで頭の上にのせて、ゆっくり歩いている。

とても落ち着いた、日常の風景だ。

「もし、管理的な野焼きをしていなかったら、この村はどうなってしまうのだろう」

という思いが、僕の頭をよぎった。

BUSHMEN代理店スタッフ 田島

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